村山談話・河野談話に未来はあるか?
第52回 米軍調査報告に見る慰安婦の実態(その3)
米軍が調査したビルマ・ミッチナの慰安所の実態。
今回はその報告書の中でも最も注目すべき箇所とも
いえる、「生活および労働の状況」の項目を
全文引用しよう。
ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある
二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊
していた。
それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。
彼女たちは、日本軍から一定の食料を配給されて
いなかったので、ミッチナでは「慰安所の楼主」から、
彼が調達した食料を買っていた。
ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と
比べれば贅沢ともいえるほどであった。
この点はビルマ生活二年目についてとくにいえること
であった。
食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を
購入するお金はたっぷりもらっていたので、
彼女たちの暮らし向きはよかった。
彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれる
いろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、
紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。
彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒に
スポーツ行事に参加して楽しく過ごし、
またピクニック、演芸会、夕食会に出席した。
彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に
出かけることが許された。
どこからどう見ても、戦時下では「恵まれている」と
言っていい内容である。
17年前、慰安婦が教科書にまで載るという
自虐史観絶頂の時代、深夜の討論番組で慰安婦問題
「謝罪派」の市民団体ら5人対わし1人という
ハンディキャップ・マッチをやったことがあるが、
最後にわしがこれを読み上げると「謝罪派」は
全員沈黙してしまい、視聴者の反響でもわしのほうが
圧勝という結果になった。
そしてそれがきっかけでこの資料も有名になった。
この件についてその後「謝罪派」は苦し紛れに
「小林は重要なことを見落としている!最後に
『買い物に出ることが許された』と書いてるでは
ないか!これは普段は拘禁状態だったという証明だ!」
などと言っていた。
呆然とするしかない。
日本国内の遊郭でも無断で外出はできなかったし、
戦地でもあるし、現代でも学校や会社からふらふら
外出して遊ぶのは許されてないだろう。
左翼の理屈では、学校も会社も拘禁状態の奴隷と
いうことになる。